「ひかりの輪」の光と影  〜そういえば上祐の今〜

思い切って、あの上祐氏に突撃インタビュー! しちゃいました♪

「ひかりの輪」本部のあるマンションに掲げられた横断幕。マンション前には警察が24時間滞在し、ひかりの輪関係者の出入り口はマンションの通常の入り口と異なっている。

千歳烏山。ここはかつて世間を騒がせたオウム真理教の後継団体の一つ、「ひかりの輪」の本部があるところである 。
私は「ひかりの輪」代表の上祐史浩氏にインタビューすることに成功した。千歳烏山駅でひかりの輪のスタッフと待ち合わせ、上祐氏のいる本部へと案内してもらう。本部へ向かう途中、あちこちにオウムを非難する張り紙や横断幕が目に入る。オウムが世界を騒がせた当時、私は小学生で、その時は何が起きているのか殆ど理解していなかったが、ニュースで見た惨劇が現実に起きたことなのだと思わずにはいられない。世田谷の本部は上祐氏の家でもある。マンション前には簡易的な警察署が建てられ、警官が何名かいた。上祐氏に会うためには、ここで色々と警官に質問される必要がある。本部に入ると、神聖なお香の匂いが広がっていた。本部には、数名のスタッフがいた。ここにあるのは光なのか影なのか、それとも別の何かなのかもうすぐあのテレビや記事で見た本物の上祐氏に会えると思うと、胸の高鳴りが止まらなかった。聞きたいことは山ほどあるが、時間は限られている。アレフとの関係や、今まで散々色々なところで取材されてきたであろうオウム時代のことよりも、もっと個人的に関心があることを訊きたいと思った。部屋に案内されると、そこに上祐氏は座っていた。

和服を着て、なるほど確かにイケメンである。ある種の達観したオーラを放っていた。上祐氏は私に座布団に座るよう促した。
私は、早速インタビューを開始した。

まずは「ひかりの輪」についてお聞かせください。今、ひかりの輪では信者が共同生活しているのですか?

ひかりの輪の一般会員は、共同生活していません。スタッフは専従会員といいまして、共同生活しています。また最近は半分以上が会員でない人です。オウム真理教の出家者の人たちが親との関係を取り戻して社会化した上でやっているのが専従会員、スタッフで、オウム真理教の信者だった方は、一般会員という形になっています。会員にならなければ学べないことは特にないので、会員にならないで学んでる人の方が多いです。

一般会員の方は毎日この教室へ来るんですか?
いや、週に一回とか、まちまち。こちらで集会を開く日に、来る形です

一般会員は何名くらい在籍しているのですか?
ちょっと広報に聞いてもらわないとわからないですけど、百何十名かだと思いますね。

新しく会員になる方は何歳くらいの方が多いんですか?
二十代から五十代、オウムで話題になったような二十代の若者よりも、私たちと同じ年齢かちょっと下が多いですね。二十代はあんまりいないかな。

ひかりの輪は宗教ではなくサークルなんですよね?
そう表現するのがわかりやすいでしょうね。一応仏教とか心理学のセミナーを開いてる、学習教室なので。

ひかりの輪では解脱のための修行とかするんですか?
仏教の学習実践ですから、それを志そうとする人に対応することはありますね。ただまあ全体としては心の平安や苦しみストレスの解消が中心ですね。ただその究極が「悟り」ということであれば、連続性はあります。
定期的に聖地巡りをされているということですが、神社も行くんですか?
そうですね、神社や仏閣や、神社仏閣が乏しい自然の聖地とか。そもそも日本は自然の聖地に後から神社仏閣が建ったという歴史認識なので。

仏教徒でも、神社は抵抗なく行けるのですか?
そうですね、仏教徒の定義にもよるけど釈迦の思想は好きで。どこかの宗派には属してないので「教徒」と言えるかはわからないけど。日本の伝統で神道と仏教とひとつにしてきた文化があるので、抵抗はないですね。
上祐さんは神の存在を信じていますか?
神というのは難しい概念だと思っていて。人が神聖なものを体験する。そこから神様という言葉を使ったり仏様という言葉を使ったりして、人間が「概念化」しますよね。そこから神聖な何かとはちょっと違った、他と争いを生じさせる矛盾が始まってしまう。神体験を言葉で表した瞬間から宗教は始まるんだけど、その言葉によって他の宗教とぶつかる。言葉というのは人間の知性において、大きな助けであると同時に大きな弊害にもなってる。例えば山で神秘的な体験をして、「私は神様と出会ったのじゃ〜」となってしまうと、他の教祖と対立してきてしまう。だから宗教において、言葉の問題は大きい。宗教って信じるって言うように、人の言葉って書くんですね。宗教の本質は言葉で。言葉の良さと弊害両方持っているのが宗教だと思っています。言葉によって宗教は複数の人をまとめることができる。でも逆に言うと、別のものを神様だと思ってる人とは、戦わなくちゃならない。素敵な神体験のままだったら、十人中十人が「素敵だね〜」となるんだけども。だから人は言葉によって違いを理解できるが、言葉によって違いを作ってしまっている。そうした言葉の弊害が、宗教は非常に大きく影響する分野だと思っています。
上祐さんは終末思想についてどう考えていますか?
終末思想は、おそらく終末思想が経典になった時代に、その宗教が圧迫を受けていて、善と悪が戦って善が勝つと思いたかった人が夢とかヴィジョンをお告げとして見て表した物語だと思う。ただ、それが神格化されてしまった。それでこの二千年間、終末が来るか来るかとキリスト教徒は待っていたわけだけども来なくて、あれはやっぱり単なる文学じゃないかとか、千年王国はローマ時代キリスト教が国境になった時代に達成されたのではとか、いやまだこれからだとかいう人に分裂している状態。ただ、終末思想プラス化学兵器イコール、ハルマゲドンというのは間違いないんで。だって人類が滅ぶことが神の意志だって思う人がいるってことでしょ。これは人類の維持平和という視点から見ると、最大の危機。

終末思想というと、今の物質社会が滅びて精神的な社会になるという考え方もありますが、その辺はどうですか?
宗教をやっている人にとっては今のこの社会は欲望であり、拝金主義であり物質主義であり汚れていると。それでその中の少数派である我々が汚れた者たちに弾圧されているがやがてそうした人々は最終戦争に敗れると。そういう思想ですね。その辺りは教祖教団によって違いますからね。

霊能者の中には、この物質主義社会が終わると予言している人もいますが。
そうした霊能者というのは、私の研究では共通した気質体質を持っていて、この現世に対して否定的に見ているんですね。それだけなら欲望が少ない、で済むんだけど、現世を否定しながら自分たちの内的世界を信奉しているみたいな。自分たちは清らかで、現世は汚れていると。そういう思いが、内側から湧いてきちゃう人なんだと思う。そしてそれが本当に正しいことなのか、それとも精神病理なのかというと、そこを今心理学は研究していますね。明治以来、スピリチュアルブームというのは今回で4回目ぐらいで一歩前がオウム真理教とか幸福の科学とか言われてるんですけど。最近になって心理学では現実から逃避をする、解離性障害というんですけど、そういう人たちの中に、魂が抜ける体験とか、あっちの世界にフレンドが出来ちゃう体験とか、精神障害を持ってる人が他人のことがわかっちゃうような超能力体験とか、そういうものをするということが結構わかってきて、じゃあそれとヨガ仏教でいう聖人聖者の宗教体験どう違うんだというところを探求しようとしてるんですね。今のところ私の見解では、聖人聖者も、現世から離れてるけど、自分のしっかりした知恵でコントロールして、賢く執着を離れているんであって、精神病理の人は幼い頃の虐待の体験とかいろんな体験で現世が嫌になっちゃって、現世から逃避してる。嫌悪してる。執着から完全に離れているのではなくて、現世から嫌悪して離れている。聖人聖者の場合は自分の意思でコントロールしてやってるから離れると言っても離れすぎないし、バランスが取れてるし、精神も安定しているが、一方解離性障害の人は、離れすぎちゃって心が不安定になったり、離れすぎちゃった先に、現世は汚れてるが自分の内側には神聖なものがあって、神聖なものが現世においては認められないという感覚。これで人を集めると教祖になる。そういう風になってるかな。ただ、そうした体験は全く共通してないわけでもないんですよね。不思議なことに、脳障害を負った人が一時的に他人のことをわかっちゃう場合もある。脳というのは結構未知の部分を秘めてるが、それをコントロールできない形で一時的に生じると霊能者みたいになって、霊能者を信じちゃう人がいて、でも精神不安定だから妄想もたくさんあるから、一つ真実なんだけど他の九九パーセントは嘘なんで、それで霊能者の言うことに巻き込まれてしまう。だからこれから霊能者とか教祖に関する研究は進歩してきていくべきだと思うんですが、今のところあまりわかってない。

霊能者の中には本物もいて、十回中十回あるいは九回当てる人もいますよ。
うーん、でも十回中十回当たってたらとっくに有名な教祖になってますよね。十回中十回当たっているかどうかは長い目で見る必要がある。エドガーケイシーなんかも、全然当たってない。最初小さいことは当たって、そのうち大きいことを言い始めると全然当たらなくなるパターンが多い。私が見る限り。話術の中で超能力があるように感じさせてしまい、それを意図的にやっている場合と意図的じゃなくやっている場合とがある。コールドリーティングは、その人と話している間にその人が超能力があるように見えるんだが、それは深い洞察力であって必ずしも超能力ではない。結構霊能者の人って、思い切った発言しますね。で十人中一人くらいは、なんでわかるんですか!となる。そうしたことを霊能者たちは悪気や自覚なくやってる場合もある。自分が霊能力があると思い込んでるから。本当に全部当てたとしたら、マスコミもすごい注目する。その人によって救われるわけだから。だけど今まで、最初に衝撃的なデビューをしても、続いて当てられた人がいない。もしいたとしたら、もう救世主になってる。そういう人はまだいない。私は霊能力が全く存在しないとは言わない。洞察力が高い人はいる。洞察力じゃなくて当たっていると周りの人が思い込むことが、利益になる場合がある。教祖や霊能者に依存してしまって離れられなくなるということが起こり得る。いい面だけにとらわれて、悪い面にはなかなか気づかない。少しずつ気づいていってもそれを見なくなっちゃう。あまりにも耐えられなくなると、離脱することになる。確かに霊能者といわれる人が洞察力が高かったり敏感だというタイプの人はいる。ただ霊能者として自分を打ち出すと、自分が特別だって思ってる意識がちょっとあるから、そういう人は精神病理的な歪みがちょっとあるかもしれない。

すごく科学・理論的ですね。
麻原っていうのは、そういう風に霊能者のお化けですよ。霊能力を使った宗教家ですよね。だいたい信者の体験談を見ると、言うこと成すこと的中ばかり。それで信じましたと。それで五年後、悲惨な目に遭った。ヒトラーもそうですね。最初のうちにドイツのエリート大企業が軒並みヒトラーを信奉したのは、確かにその時まではヒトラーが言うこと成すことドンピシャなんですよ。そして三十九年から、狂気の世界になる。イギリスと決戦をする時に、占いで決戦の日を決めるとか、どう考えてもヤバい。お互い戦争を止めましょうと相互不可侵条約を結んでたロシアと、冬の時期にいきなり戦争始めちゃった。その時に、女神は大胆な者を祝福すると。あの人も声が聞こえるとか言ってたみたいだから霊感的な人だったと思うんですが、そういう人たちがある時おかしくなってしまう。そうした教祖やカリスマみたいな人がどういう心理的資質、病理を持っているかがまだ分かっていない。そういうことを一般の人が小学校中学校で勉強してたらハマらないかもしれないけど、今の段階だったら、カリスマ的な政治家が出てきたら、みんなそれに嵌まり込むかもしれない。八十年代のバブルというのはみんな盲信してた。これで日本は世界一だと。そのあと必ずおかしくなるという歴史があるわけだけど、そういうカリスマの心理学というのがまだ出来てないから、いろいろな問題を十分には乗り越えられていない。そこはこれから人類が科学的に心理学的に宗教学的に探求しなくちゃいけない。問題はそういったカリスマが身近にいるわけでも頻繁に現れるわけでもないということ。だから実際現れると衝撃を受けてしまう。
「俺、出会ったんだよ」ってね。ウブなんですよ。だから、盲信の感染が起こる可能性がある。感染した人が生き残れば、抗体が出来る。感染した経験がなくても感染しないで済むワクチンを作る必要がある。

それが現在のひかりの輪ですか?
その通り。ひかりの輪とは、オウムに限らない、あらゆるオウム的なカルトに対するワクチンとしての存在意義がある。それがないと、形を変えたものに感染するから。次は、同じようにならないと思いますよ。共産主義もないと思いますよ。大日本帝国もないと思いますよ。けれども極左もオウム真理教も、共通した何かがあるんですよ。オウム真理教と今一部似てるのはイスラム国。イスラム教の終末戦争で人を集めている。

上祐さんは実は霊的なことはあまり信じない方ですか?
霊的な経験はたくさんありますよ、オウム真理教はそのお化けみたいなものだから。ただ霊的な体験とそれに付随する狂気というのもあって。自分が体験したたものが似てるんですよ。だからこれは人間が持ってる普遍的な課題なんだと思う。だから今の宗教とか霊能とかいったものの次にある時代を作らなくちゃいけないと思う。解毒された、次の時代。宗教の解毒による浄化っていうんですかね、宗教霊能スピリチュアルなものが持っている毒を解毒して次の時代へ行くのが重要ですね。だからそうしたものを百パーセント否定するつもりはなくて、霊能者というのは単に足が速い人、みたいな。勘が鋭い人。

上祐さんの霊的な体験について教えてください。
幽体離脱とか、天国に行く体験だとか、地獄に行く体験だとか、光が見える体験だとか、一通りしましたね。神様が現れてお前が救世主だって言われる体験はしたことないですよ笑それがあるとヤバいんですけど笑真に受けたその人は人生乗っ取られますからね。乗っ取られるとわかれば拒否するだろうが、大抵は嵌まり込む。確かに霊的な体験というものはある。ただそこからちょっと間違うと、対立が始まる。そして長期的には無理がかかってくる。そうした裏の側面はオウム真理教として集団として個人として経験した。私も霊能者みたいな人に会ったことはあるけども、その人は麻原以上に当てるのがうまかった。ただ、人格がね。絶対合理的に見て正しくないことも正しいって言ってくるわけですよ。霊能者でも自分を特別視しない人、はまあいいんですけどね。自分の妄想的自尊心とセットになった場合、霊能者から教祖になる。そうするとそれを信じた信者とともに不安定な人生を送るんじゃないですかね。

もし上祐さんが神様から救世主になれって言われたらどうしますか?
それが神様だっていう証拠がないじゃないですか。だから証拠がないのに信じたい人がそう信じるわけ。普通の人だったら、そんな体験すればなんかおかしいのかな病院行こうかな、となるところが、麻原は「待ってました! やっぱりそうだった!」となるわけ。本とか読んでると、麻原はずっと昔からアウトサイダー的に生きてきた。彼の最初の著作にも、生きていくってなんて辛いんだろうと書いてあった。プライドとコンプレックスで非常に悩んだと。その時私はヨガに出会ったと。出会った時に、神様にも出会っちゃった。そこで、神様にお前は戦う救世主になれと言われた。三浦海岸かどこかで。で、戦い続けなきゃならなくなった。卑屈な人がお告げを受けると、一気に変わる。神だけが私を理解してくれた、みたいな。信者の方は、教祖だけが私を理解してくれた、みたいになる。自尊心が渇いた人がどんどん集まる。STAP細胞の件もそうですけど、エリートでも競争社会で自尊心の渇きというのは結構あって、そこにカルトは入り込む隙ができる。

これからの日本はどうなっていくと思いますか?
それは難しいよ。ちょっと、遠くが見えないっていうのかな。何が言えるかっていうと、(ここで初めて即答せずに頭を抱える)今、世界的にグローバル資本主義っていうのはちょっと行き詰まってるなと思う。イギリスのEU離脱や自国優先主義とか。だから三十年ぶりの転換期というか。三十年前はベルリンの壁が崩壊した。そして米ソ冷戦終結。アメリカを中心としたグローバル資本主義が始まったんだけど三十年経ってアメリカがそれに耐えられなくなって。グローバルで勝ち負けがついて今度は国内の敗者が文句を言い始めた。国内の敗者を助けようと思ったら、アメリカは自分のことだけ考えるから周りが困る。これはどう見ても矛盾。日本の方はアメリカやヨーロッパを覆ってる移民とかの直撃を受けていないけども少子化の問題がある。現代は価値観が混迷している。そしてアメリカの力も相対的に弱くなってきている。一番怖いのは、ならずもの国家からテロリストに核兵器が渡った時。それが彼らにとっての現実的ハルマゲドン。今後は世界連邦が必要なんだけど、その前にはだいたい混乱がある。混乱から秩序へ。それはあるんだろうなと思う。経済はグローバルなんだけど、社会福祉制度は全然グローバルじゃない。そうするとなんというか、貧富格差が強くなってきて不満やテロが出てくる。グローバル社会福祉というのが、世界政府の一つの役割だと思う。十億人が飽食で、十億人が飢えているというのは、いわば江戸時代の日本。江戸時代は、地域によって格差があった。でも今はそんなことは許されない。だから、世界レベルで見るとまだ発展途上。今後、あらゆる格差は平等化していく方向へいくと思う。
二時間にわたる取材で、上祐氏が訴えたかったことは、次の二つに集約される。

・ひかりの輪の存在意義はカルトへの抗体としての役割がある。
・社会保障のグローバリゼーションの必要性

ひかりの輪の思想は全ての人間はお互いに関わり合って存在しているという一元思想。その「輪」の思想こそが、これからの時代を作っていく大きな役割を果たすのではという気もする。


部屋を出たら目の前にいた猫に睨まれた。よく見るとヒゲのような模様をしている。